【いい話】おじいちゃんの戦時中のエピソードが心温まると話題に!!!
■Twitterより
拙者のじいちゃんの話……
じいちゃん、大東亜戦争で徴兵された時に、家族から選別で、1袋の落花生を貰って出立したと……
独り占めするのが苦手なじいちゃんは、食わずに大切に保管してました。
しかし食糧難で、訓練後に食物を求める同期兵達を見て、皆で分けて食べようと決めました。
続く
— 絶望病院 (@zetubou_x) June 9, 2020
その同期兵の中に、じいちゃんより年下の少年兵(信州出身)が居て、
「俺は落花生なんて生まれたばっかりの時に食ったきりだわ、楽しみだ!」と話していました。皆に落花生を分け、さぁ食べようとしたら、その少年兵の落花生の殻を割ると中身が無かったと……
少年兵は落胆したのを見たじいちゃん……— 絶望病院 (@zetubou_x) June 9, 2020
自分の落花生を割り、半分づつ分けましたと……
「悲しそうな面すんな、俺んのば半分やっから」
そう言って少年兵は嬉しそうに受け取って食べたと、じいちゃんは話してくれました。それから、訓練を終え、戦地へ行く前日に東京駅で集合がありました。
続く……
— 絶望病院 (@zetubou_x) June 9, 2020
「これより22時間、自由時間をやる。家族へ今まで育ててもらった礼をしてこい!解散!」
と、言われ同期兵はそれぞれ汽車に乗り、家族の元へ帰った……
しかし、例の少年兵は残っていた
じいちゃんは気になり、少年兵に話しかけた
続く……
— 絶望病院 (@zetubou_x) June 9, 2020
「22時間じゃ家族の元へ(信州)帰れないし、敵前逃亡と見なされるから……」
そう聞いたじいちゃんは、その少年兵と1晩、東京駅周辺で過ごしたと……
少年兵からの話に、例の落花生の思い出を話されて、嬉しくなり
「戦争が終わったら千葉さ遊びに来い!胃袋落花生で埋めてやる」
と、約束しました— 絶望病院 (@zetubou_x) June 9, 2020
その後……
その少年兵の話を聞くと、じいちゃんは【消えた】としか話してくれませんでした……
戦地でその少年兵は【迫撃砲弾】が命中し、文字通り【消えた】と……
じいちゃんはその少年兵を【死んだ】と認めずに話を進めてました……
— 絶望病院 (@zetubou_x) June 9, 2020
時は流れ……
戦争は終わり、体ひとつで戦地から帰ってきたじいちゃん……
色々とありましたが、拙者が産まれるまで話を飛ばします……
じいちゃんは戦後から農家になり、
「俺の時代は食うもんに困った。だから今は食う物を作り続けるのが俺の戦争だ。お前らにひもじい思いはさせねぇ」と……— 絶望病院 (@zetubou_x) June 9, 2020
そんなじいちゃんも、79歳の時に、癌に蝕まれ、入院しました。
しかし、じいちゃんは畑が気になり、何度か病院を脱走しようとしました。
拙者ら家族は、じいちゃんの体の事を思い、引退して治療に専念すべきと話しましたが……— 絶望病院 (@zetubou_x) June 9, 2020
「俺は昔、信州の戦友と落花生を食わす約束ばした!俺は戦後に婿入りして苗字が変わった!奴が千葉県中探しまわって会った時に、今年は落花生が無いっと言ったら、また悲しい思いばすったろ!そんな情けねぇ話があっか!」
この信念に、拙者は泣いた……
— 絶望病院 (@zetubou_x) June 9, 2020
その後、じいちゃんは驚異的な回復力で癌を克服し、退院した当日に畑に行き、落花生を撒きました。
じいちゃんから言われた事……
「信州の人に会ったら優しくしてやってくれ。もしかしたら同期兵の家族かもしんねぇ。仲良くなったら落花生ばやってくれ。俺はもう、そっちさ行く体じゃねぇから」— 絶望病院 (@zetubou_x) June 9, 2020
と、じいちゃんに意志を託されました……
信州に行く際は、落花生を持参して遊びに行くようにしてます……
(´;ω;`)— 絶望病院 (@zetubou_x) June 9, 2020
<このツイートに対する反応>
ありがとうございます。素敵なお話でした。
めっちゃ泣きました。
家族に会いたかったであろう少年兵。
望みは限りなく薄いと分かっていても落花生を作り続けるおじいさま。
凄惨な戦争の中にあった、心温まるお話をありがとうございました。
良い話だぁ
恨み辛みを募らせるのではなくて
あいつのために、今後のために、今できることをやる姿勢が、戦後この国を支えてきました。
ぽっかり空いた穴を悲しみよりも愛で埋めたお爺様の素晴らしさに涙が溢れました
世知辛い世の中にあって、見習いたい生き様です
ありがとう
信州人より
信州人です。
曽祖父が大東亜戦争に出兵し、生死は明らかになっておりません。
もしかしたら貴方様のお祖父様とも何処かでお会いしているのかもと思いながら読ませていただきました。素敵なお話ありがとうございます。
信州人です。
私の祖父も戦争に行き、帰ってきてからは料理人をしながらの兼業農家で、ひたすら食べ物を作る人生でした。
お祖父様と同じ思いがあったのだと思います。思えば食卓は毎日とてもにぎやかでした。
そんな祖父を思い出しました。
ありがとう。
戦争は悲しいけど、本当に心温まるエピソードだなぁ
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